2003/6/7 山元加津子さんの講演会の様子です

2時間も電車の時間を間違えても何事もなかったかのように
予定通り始まった山元さんの講演会でした

書籍のコーナーも大賑わいでした
みなさんの関心の深さが伺えます

一冊々丁寧にサインされていました

翌日黒川を案内、犬好きの山元さんは古田さんちの子犬を発見!
しきりにデジカメで写真をパチパチ、
(同行の小林さん曰く、山元さんは犬語をしゃべるそうです。ほんとかな!?)

奥新田の藤井さんちの麦畑に感激!

東白川村の「こもれびの里」でカレーバイキングを堪能して、、、
最後に白川口で記念撮影、、
また来てくださいね!
>>>>おまけ
山元加津子さん略歴:1957年、金沢市生まれ、富山大学理学部を卒業後、石川県の小学校の教諭になり、
その後、石川県立綿城養護学校、小松瀬領養護学校を経て、現在明和養護学校教諭。
養護学校のこどもたちとのふれあいを通して、人のきもちの大切さを著書、作品、講演
などで発表し、涙とともに、多くの共感者を得る。新聞、テレビ、ラジオ、雑誌、などでとりあげられる。
*たんぽぽの仲間たち http://www005.upp.so-net.ne.jp/kakko/
*魔女の花びら http://www2.nsknet.or.jp/~kakko/WELCOME.HTM
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やまもっちゃん(子どもたちからこう呼ばれています)は、こんな話をされます。
「きいちゃんの浴衣」
きいちゃんは教室の中でいつもさびしそうでした。たいていのとき、うつむい
てひとりぼっちですわっていました。だからね、ある日、きいちゃんが職員室の
私のところへ「せんせいーー」って大きな声でとびこんできてくれたときは本当
にびっくりしたのです。
こんなにうれしそうなきいちゃんを私ははじめてみたのですもの。「どうした
の?」そうたずねると、きいちゃんは「おねえさんが結婚するの。私、結婚式に
出るのよ」ってにこにこしながら教えてくれました。ああ、よかったって私もす
ごくうれしかったのです。それなのにね、それから一週間くらいたったころ、教
室で机に顔を押しつけるようにして、ひとりで泣いているきいちゃんをみつけた
のです。涙でぬれた顔をあげてきいちゃんが言いました。「おかあさんがわたし
に、結婚式に出ないでほしいって言ったの。おかあさんは私のことが恥ずかしい
のよ。おねえさんのことばかり考えているのよ。私なんてうまなければよかった
のに」きいちゃんはやっとのことでそういうと、またはげしく泣いていたのです。
でもね、きいちゃんのおかあさんはいつもいつもきいちゃんのことばかり考えて
いるような人でした。
きいちゃんは小さいときに高い熱が出て、それがもとで手や足が思うように動か
なくなって車椅子にのっています。そして訓練を受けるためにおうちを遠く離れ
て、この学校へきていたのでした。お母さんは面会日のたびに、きいちゃんに会
うために、まだ暗いうちに家を出て、電車やバスをいくつものりついで4時間も
かけて、きいちゃんに会いにこられていたのです。毎日のお仕事がどんなに大変
でも、きいちゃんに会いに来られるのを一度もお休みしたことはないくらいでし
た。そしてね、私にも、きいちゃんの喜ぶことはなんでもしたいのだと話してお
られたのです。だからおかあさんはけっしてきいちゃんが言うように、おねえさ
んのことばかり考えていたわけではないと思うのです。ただ、もしかしたら、結
婚式にきいちゃんが出ることで、おねえさんが肩身の狭い思いをするのではない
か、手や足が思うように動かない子供が生まれるのではないかとまわりの人に思
われるのではないかとお母さんが心配されたからではないかと私は思いました。
きいちゃんはとても悲しそうだったけれど、「うまなければよかったのに・・」
ときいちゃんに言われたおかあさんもどんなに悲しい思いをしておられるだろう
と私は心配でした。けれど、きいちゃんの悲しい気持ちにもおかあさんの悲しい
気持ちにも、私はなにをすることもできませんでした。
ただ、きいちゃんに「おねえさんに結婚のお祝いのプレゼントをつくろうよ」
と言いました。石川県の金沢の山の方に和紙をつくっている二俣というところが
あります。
そこで、布を染める方法をならってきました。さらしという真っ白な布を買っ
てきて、きいちゃんといっしょにそれを夕日の色に染めました。そしてその布で、
ゆかたをぬってプレゼントすることにしたのです。
でも、本当を言うとね、私はきいちゃんにゆかたをぬうことはとてもむずかし
いことだろうと思っていたのです。きいちゃんは、手や足が思ったところへなか
なかもっていけないので、ごはんを食べたり、字を書いたりするときも誰か他の
人といっしょにすることが多かったのです。ミシンもあるしいっしょに針をもっ
てぬってもいいのだからと私は考えていました。でも、きいちゃんは「ぜったい
にひとりでぬう」と言いはりました。まちがって指を針でさして、練習用の布が
血で真っ赤になっても、「おねえちゃんの結婚のプレゼントなのだもの」ってひ
とりでぬうことをやめようとはしませんでした。
私、びっくりしたのだけど、きいちゃんはぬうのがどんどん、どんどんじょう
ずになっていきました。学校の休み時間も、学園へ帰ってからもきいちゃんはず
っとゆかたをぬっていました。
体をこわしてしまうのではないかと思うくらい一所懸命、きいちゃんはゆかた
をぬい続けました。そしてとうとう結婚式の10日前にゆかたはできあがったの
です。
宅急便でおねえさんのところへゆかたを送ってから二日ほどたっていたころだ
ったと思います。きいちゃんのおねえさんから私のところに電話がかかってきた
のです。おどろいたことに、きいちゃんのおねえさんは、きいちゃんだけではな
くて私にまで結婚式に出てほしいと言うのです。けれどきいちゃんのおかあさん
の気持ちを考えると、どうしたらいいのかわかりませんでした。おかあさんに電
話をしたら、お母さんは「あのこの姉が、どうしてもそうしたいと言うのです。
出てあげてください」と言って下さったので結婚式に出ることにしました。
結婚式のおねえさんはとてもきれいでした。そして幸せそうでした。それを見
て、とてもうれしかったけれど、でも気になることがありました。結婚式に出て
おられた人たちがきいちゃんを見て、ないかひそひそ話しているのです。(きい
ちゃんはどう思っているかしら、やっぱり出ないほうがよかったのではないかし
ら)とそんなことをちょうど考えていたときでした。お色直しをして扉から出て
きたおねえさんは、きいちゃんがぬったあのゆかたをきていたのです。
ゆかたはおねえさんにとてもよく似合っていました。きいちゃんも私もうれし
くて、おねえさんばかりをみつめていました。おねえさんはお相手の方とマイク
の前にたたれて、私たちを前に呼んでくださいました。そしてこんなふうに話し
出されました。
「みなさんこのゆかたを見てください。このゆかたは私の妹がぬってくれたので
す。妹は小さいときに高い熱が出て、手足が不自由になりました。そのために家
から離れて生活しなくてはなりませんでした。家で父や母とくらしている私のこ
とを恨んでいるのではないかと思ったこともありました。それなのに、こんなり
っぱなゆかたをぬってくれたのです。高校生でゆかたをぬうことのできるひとが
どれだけいるでしょうか?妹は私のほこりです」
式場中、大きな拍手でいっぱいになりました。そのときのはずかしそうだけれ
ど、誇らしげでうれしそうなきいちゃんの顔を私はいまもはっきりと覚えていま
す。私はそのとき、とても感激しました。おねえさんはなんてすばらしい人なの
でしょう。そして、おねえさんの気持ちを動かした、きいちゃんのがんばりはな
んて素敵なのでしょう。
きいちゃんはきいちゃんとして生まれて、きいちゃんとして生きてきました。
そしてこれからもきいちゃんとして生きていくのです。もし、名前を隠したり、
かくれたりして生きていったら、それからのきいちゃんの生活はどんなにさびし
いものになったでしょうか?
お母さんは、結婚式のあと、私にありがとうと言ってくださいました。でも私
はなんにもしていません。わたしこそ、こんなに素敵な場面に出会わせてもらえ
てなんて幸せなのだろうと、本当にありがたく思っています。
きいちゃんはお母さんに「生んでくれてありがとう」とお話したそうです。き
いちゃんはとても明るい女の子になりました。これが本当のきいちゃんの姿だっ
たのだろうと思います。
あの後、きいちゃんは、和裁を習いたいといいました。そしてそれを一生のお
仕事に選んだのです。
●きいちゃんの浴衣のお話は「たんぽぽの仲間たち」(三五館)
にも違う形で載っています。これは子供たちにも読んで欲しいなと思って絵本の
ために作った文章です。
※このお話は「たんぽぽの仲間たち」のホームページから山元加津子さんと素敵
な仲間たちの事を少しでもわかっていただきたいと思い参考になればと一部を抜
粋して裏面に掲載させていただきました。
このような山元加津子さんと素敵な仲間たちのお話がたくさんの本で紹介されて
います。